古きに始まる薬剤師の歴史

■薬剤師の祖先は錬金術師?

薬の処方は、植物や動物、鉱物を使って、古くから行われていました。
古代メソポタミア遺跡からは、植物性50種類以上、動物性180種類以上、鉱物性120種類以上の、薬の処方の書かれた粘土板が発見されています。

薬の処方は、錬金術への試みととも相俟って、発展してきたものと言われています。

錬金術とは、あらゆる金属から金を作り出そうとするものでした。

錬金術の卑金属(酸化しやすい金属。鉄、銅、亜鉛など)から金や銀を作り出そうとする考え方は、人間も完全な霊魂に変性させようとするものであり、不老長寿の妙薬(エリクサー)を作り出そうとしたり、今では、、愚かなまやかしとも言える側面もありました。

しかし7~8世紀頃から、この錬金術の研究は、硝酸、硫酸、塩酸、王水(濃塩酸:濃硝酸=3:1の液体)を発見したり、硫黄と水銀による変性を発見したり、現在の化学の基礎とも言えるものを築いたとも言われています。

現在の化学、ケミストリーの発達は、この錬金術の研究を除いてありえなかったとも言えます。

薬局は、アラビアでは既に9世紀前半にはあったと言われています。

錬金術は、13世紀から、19世紀になり原子が発見され物質の構造が解明されていくようになるまで、中世ヨーロッパでは盛んに研究がなされました。

特にイスラム世界の錬金術における蒸留法は、中世ヨーロッパに大きな影響を与え、高純度アルコールの精製したり、天然物からの単体の成分を取り出す技法となり、化学分析や化学工業への道を大きく開いたと言われています。

薬剤師は、こうした錬金術師を先祖にするものとも言われています。

「医薬分業」の始まり

■「医薬分業」の始まり

医師の仕事から、薬の調合からなる薬剤師の仕事が、分離したのは、、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝、フリードリッヒⅡ世(1194-1250年、在位1215- 1250年)だと言われています。

当時、中世ヨーロッパでは、王位継承者に対し、ヒ素を使って毒殺することが頻繁に起こっていました。

いくら毒見役がいたとしても、毎日少しずつ毒薬を盛られていたとしたら、毒見役も気付かず、自分も食してしまうことになります。

中世ヨーロッパの王侯貴族が銀食器を使っていたのも、昔のヒ素には、純度の低い硫化ヒ鉄鉱が使われていたことから、その硫黄成分が、銀に触れると、食器が青黒くなることで、毒殺を防ぐことにあったと言われています。

 

当時は宮廷医が、病気を診断し、薬を処方し、なおかつ薬を調合し、死亡診断書まで書くことになっていました。

王は、こうした宮廷医が、権力を狙う者と組み、自分に毒を盛ることを怖れ、医師には処方箋だけを書かせ、薬の調合を、医師の知らない薬剤師に任せることにしました。

1240年、フリードリッヒⅡ世は、医者が薬室を持つことを禁じ、院内で調剤ができない旨の法令を出しました。

これが、「医薬分業」による薬剤師の始まりだとも言われています。

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